日々のジャーナルから

2 日々のジャーナル から

 

過去と最近のジャーナルをの中から、いくつかのものを取り上げて行きます。

◆ 使徒の働き:28-26(7月1日’21) (No.1)

「ユダヤ人に告げよ。

あなたがたは聞くには聞くが理解しない。

見るには見るが認めない。

心は肥えて鈍くなり、

耳も遠く、目も閉じられている。

見もせず、聞きもせず、理解もしない。

わたしに立ち返って、いやされようともしない。」(イザヤ:6-9&10)

この世の出来事により、神から離れ、自分の殻に閉じこもりそうになっていた時、このフレーズが心に響きました。

◆コリント人への手紙Ⅰ:2-7(2月4日’20)(No.2)

私たちのことばに知恵があるのは」それが神から来た教えで、天の栄光に導く神の知恵に満ちた計画を告げるものだからです。

「悪魔の囁きを断つ」:忙しさに紛れ、この世的な人間関係のしがらみにどっぷり浸かっていると、何事もうまくいかず、つい弱気になって、神の知恵に満ちた言葉さえも、すんなり内に入ってこない時があります。

そんな時は、今置かれている現状から一歩離れて、どこか静かな場所で、聖書を開いてみると、心が安らぎます。

 

◆箴言 知恵の泉:17-9(3月13日’20)(No.3)

愛ある人は人の誤りを水に流し、いつまでもこだわる者は親友までも失います。

「『赦す』ことで成長できる」:人間、誰でもお互いに過ちを犯します。私にも、あの時、寛容に許していれば、残っていた友人が数人いました・・・。人は皆、お互いに許しあいながら成長します。

◆コロサイ人への手紙:2-20(11月7日’21)(No.4)

キリストとともに死んだあなたがたは、この世の教えから解放されたのです。

今のこの世の状況がどうであれ、この世の教えから解放され、神の領域に足を踏み入れたのだから、自分はこの事実を素直に喜び、これからも、「永遠の命」を獲得するために、「聖書」、「礼拝」、「説教」、「コネクト・グループ」を頼りに、本当の「真理」と「愛」と「喜び」を追い求めて行くと、改めて決心しました。

(12月4日’21アップロード)

◆マタイの福音書:25-13(3月14日’20)(No.5)

こんなことにならないために、目を覚まして、いつでも私を迎える準備をしていなさい。わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから。

「来たる永遠のために」:誰も、「終末の時」を知りません。だから、いつ来ても狼狽えないように、日頃から、神への感謝と祈りとともに、自分の「心」、「魂」、そして「思い」を正し、整えていきます。

◆コロサイ人への手紙:3-2&3(1月14日’22)(No.6)

・地上のことをあれこれ気に病まず、天上のことで心を満たされていなさい。

・一度死んだわけですから、あなたがたの真のいのちは、キリストとともに天の神の下にあるのです。

「ただ御言葉だけを信じて」:この世は、決して正義と愛にあふれた、倫理的常識や平和主義に基づいて動いているわけではありません。むしろ、「邪悪」と「強欲」と「身勝手」まみれの「非常識」に基づいて動いていると言っても過言ではないと思います。「終末期」と言われるこの時代に、私は聖書を通じて、「御言葉」のみを信じて生きていこうと、改めて決心しました。

2月11日’22アップロード

◆ローマ人への手紙:12-2 (3月17日’20)(No.7)

この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。

「『我』を捨てる」:この世で生きていると時々、自分中心に物事を見てしまいがちになります。何事に対しても、神を中心として(どのようにしたら神に喜んでいただけるかを考慮しながら)生きていけば、「我」を捨てることができ、その結果、何事にも冷静沈着に対処することができます。

◆1テモテへの手紙:4-4&5(12月5日’21)(No.8)

・神がお造りになったものは皆良い物で、感謝して受ければ、何一つ捨てる必要はありません。

・神のことばと感謝の祈りによって、きよめられるからです。

自分の身に降りかかることは、良いことであれ、悪いことであれ、すべては「神」から授かる「報い」です。

良いことは、神から授かった「恵み」として、素直に感謝して受け取り、悪いことには、神から授かった「試練」として、有難く感謝して受け取ります。

◆ヨハネの福音書:12‐46(3月18日’20)(No.9)

わたしは、この暗い世に輝く光として来ました。私を信じる人はだれも、もはや暗闇の中をさまようことのないためです。

「イエスの光に沿って」:イエス自身によって放たれる「光」に沿って進めば、正しい道に導かれます。光を見失って、道に迷わないよう、イエスに寄り添いながら歩き続けます。

◆テトスへの手紙:1-15(12月19日’21)(No.10)

きよい心の持ち主には、すべてのものが清く、良い物に見えます。しかし、心の曲がった不真実な者には、すべてが曲がって見えるのです。それは、その汚れた思いと反抗的な心が、見るもの聞くものすべてをゆがめるからです。

高慢になったり、邪念を抱いたり、邪推しがちになったり、強迫観念に駆られた時、それまで素直にきよい心で見えていたものが、その通りに見えなくなってしまうことがあります。すべてはこの世のしがらみに関わる「人の心の弱さ」から生じることなんですが、自分の場合は、日々、聖書に接しながら、1分でも長く、きよい心を維持できるように、精進していきます。

◆ヤコブへの手紙:4:14(3月19日’20)(No.11)

明日はどんなことが身に起こるか、誰にもわからいのです。あなたのいのちは、朝霧のようにはかないものです。

「一寸先は闇」:まさに今の世界情勢は「一寸先は闇」状態です。「コロナウイルス」と「景気後退」との戦いは」いつまで続くのでしょうか? その答えは神にしかわかりません。

私たちのに出来ることは、一人でも多くの人が、天国にて救われるように、ただ神に祈ることのみです・・・。

◆へブル人への手紙:6-18(1月1日’22)(No.12)

神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れてくる人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。

この個所を読んだ時、2019年の月130日の水曜日、19時15分からの「礼拝」に飛び入り参加した時のことを思い出し、感慨深いものがありました。

その当時は、あまり意識していませんでしたが、今考えると、あの頃の自分はきっと、心身ともにボロボロになっていて、何かに縋りつきたかったんだと思います。こうして聖書と共に、徐々にではありますが、「心」、「魂」、「想い」を正し、整えていく道を選択できたことに対して、本当に、神とイエスに感謝しています。

(9月24日’22記述)

◆ルカの福音書:22-25&26:JCB(3月22日’20)(No.13)

「この世では、王や高官たちが支配者として権力を欲しいままにしてしています。だが、あなた方の間では違います。一番よく人に仕える人こそ、よく人を治める人になるのです。」

「謙虚に粛々働く上役」:いつの時代も、肩書を持ちながら、部下と一緒に粛々と働く人は、誰からも好かれます。

◆ヨハネの福音書1:5-19&21:(2月23日’22)(No.14)

・私たちは神の子供ですが、回りの世界は悪魔の支配下にあることを知っています。

・愛する子供たちよ。神に取って代わる心の中の偶像から、自分自身を守りなさい。

確かに私たちは、この世が悪魔の支配下にあることを知っています。。にもかかわらず、この終末期にあって、未だに取るに足りない「邪念・邪推・妄想」により、心を乱されることが時々あります。

そんな時は、自分の弱さを正直に神様に吐露し、速やかに離脱できるように、神様に「願い祈り」を捧げます。その後は、必ず心が落ち着きます。

(12月19日’22:記述)

◆ヨハネの福音書:14-6:JCB(3月25日’20)(No.15)

「いいですか。私が道です。そして真理でもあり、命でもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」

「イエスは人生の標識」:イエスは私の人生の標識そのものです。その標識を信じて、我が道を歩いて行けば、自ずと「真理」に立ち寄ることができ、実りある人生を送れることを信じます。そして私は、天に導かれます。

(2月20日’23:記述)

◆1ペテロの手紙:5-8:JCB(4月17日’22)(No.16)

最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しなさい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき回っているのです。

「今は正に悪魔の攻撃を警戒する時です!」:この終末の時代に、世界中では、本当に多くの人々が、様々な事情からストレスを溜め込んでいます。悪魔はそこから生まれる「心のわずかな隙」を見逃しません。どんな悪魔の誘惑にも負けないように、常日頃から、御言葉とともに神への信仰を深めながら、ストレスを溜めずに、心の平安を維持していきます。

(2月20日’23:記述)

◆ヨハネの福音書:15-5:JCB(3月26日’20)(No.17)

私はぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人が私のうちに生き、私もその人のうちに生きているなら、その人は多くの実を結びます。

「イエスを栄養として実を結ぶ」:私はイエスという大木の枝の一つです。その栄養を充分に吸収しながら、私は多くの実を結びます!

◆マタイの福音書:6-24:新共同訳(4月28日’22)(No.18)

だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

「神と富」:神に寄り添って生きれば、必ず自分自身を「物欲」から解放させることができます。実際に、自分はクリスチャンになってから今日に至る間に、「貧乏であること」によってストレスを溜めるという事が一切無くなり、逆に平安に生きる術を神から学んだような気がします。これからもそう信じて、日々の神への賛美と祈り、聖書の通読を続けて行きます!

(4月25日’23:記述))

◆ルカの福音書:23-42&43:JCB(3月30日’20)(No.19)

そして、イエスにこう頼みました。「イエス様、御国に入る時、どうぞ私を思い出してください。」 イエスはお答えになりました。「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイス(天国)に入ります。」

「悔い改めた者は救われる」:誰でも自分の過ちに気づき、悔い改めた人を、イエスは見捨てたりしません。私も日頃から、自省を心掛けています。

(6月17日’23:記述)

◆マタイの福音書:13-37~40&43:新共同訳(5月15日’22)(No.20)

・良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れはこの世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそうなるのだ。

・そのとき、正しい人々はその国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。

「福音を拡めること、それは、今が正念場のような気がします。」:今日の世界情勢を見ていると、この終末期の中、政治的にも、経済的にも、環境的にも、いつ、どこで、何が起こっても不思議ではないような気がします。

私たちクリスチャンは、常にこの世の終わりを覚悟しながら、「福音伝搬」を実行して行くことが急務だと思いました。特に最後の、「耳ある者は聞きなさい」ーという箇所を読んだ時、なんとなく、「時間がありません。早く福音を拡めなさい!」ーと、イエスに背中を押されているような気がしました。

(6月17日’23:記述)

◆ローマ人への手紙:6-13:JCB(4月10日’20)(No.21)

・体のどんな部分をも、罪を犯す道具にしてはなりません。むしろ、自分自身を神にささげなさい。あなたがたは、死者の中から生かされた者であり、神に使っていただく良い道具として役立つ者となりなさい。

「神の道具として、善をなす」:私は喜んでこの身を神に捧げます。そして、私は神の奴隷として、神がお導きくださる道だけを歩み、良きことのみを実践することを心掛けて行きます。

◆1ヨハネの手紙:2-16:JCB(5月2日’22)(No.22)

・全ての世に属するもの―罪の性質から起こる欲望、性的な欲望、暮らし向きの虚栄心―は、神から出たものではなく。みな、この世の生み出したものです。

「物欲に染まって生きて来た自分を悔い改め、神に寄り添って生きて行きます。」:私は過去において、物欲に染まり、無意味な時間を過ごして来ました。今は信仰に目覚め、悔い改め、神の教えに従って生きています。これからも神に寄り添い、信仰を深めることに努めて行きます。

◆ヨハネの福音書:3-20&21:JCB(4月12日’20)(No.23)

・彼らは天からの光をきらい、罪が暴露されるのを恐れて、光のほうに来ようとしません。しかし、正しいことを行っている人は、喜んで光のほうに来ます。神の望まれていることを行っていることが、はっきりわかるためです。

「迷う行動」:はっきり言って、まだ私は、自分が神の望まれていることを十分に実行しているか、自身がありません。もっと自分には厳しく、他人にはやさしく、寛容に接することを重んじながら、自分を磨いていかねばなりません。

◆マルコの福音書:7-15&21: 新共同訳(7月3日’22)(No.24)

・外から人の体に入るもので人を汚すことが出来るものは何もなく、人の中から出てくるものが、人を汚すのです。

・中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。

人間とは本当に弱いもので、ちょっと神から離れ、隙ができると、「邪念」、「物欲」、「妄想」、「邪推」などの悪い思いが心に現れることがあります。自分が今のところ、そのような悪い誘惑に囚われないで済んでいるのは、日々の神への賛美と祈り、聖書の通読のお陰だと、つくづく思いました。

(10月27日’23:記述)

◆ピリピ人への手紙:4-5&8:JCB(4月13日’20)(No.25)

・自己中心的にならず、あなたがたが思いやりにあふれていることを、だれもが知る者になりなさい。

・きよいこと、愛すべきことに思いめぐらし、他の人の長所に目をとめなさい。

「長所を指摘する思いやり」:人は皆、長所と短所、両方を持ち合わせています。自分は先ず、相手の長所を積極的に伝え、その人に自信を持ってもらいたいと思います。

◆ローマ人への手紙:3-28:JCB(4月24日’22)(No.26)

・つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善業によるものではないのですから。

「私たちの救いは、イエスへの信仰のみによって成就する。」:神様を信じるということは、イエスの教えを忠実に守りながら生きて行くということです。それを完璧に実行出来れば、決して道を踏み外すことはないと信じて、これからも神への賛美と祈り、聖書の通読を通じて、信仰心を深めて行きたいと思います。

(12月16日’23:記述)

◆ローマ人への手紙:6-14:JCB(5月2日’20)(No.27)

・罪は二度とあなたがたを支配しません。なぜなら、あなたがたはもう立法に束縛されておらず、恵みの中にあって、自由の身となっているからでです。

「物欲まみれの立法からの解放」:昨年の9月22日に洗礼を受けて以来、ここにきて、何か「物欲」からすっきり解放され、自由人となった自分を感じることができ、いつも気分が快適です。何をするにも躊躇せず、自然に実行で来ています。今のすべてを、イエスの名において、心から神に感謝します。

◆ルカの福音書:10-24(8月14日’22)(No.28)

・言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。

終末期のこの世を見ていると、「ごく当たり前のささやかな喜びとか、愛、思いやり、寛容、赦し」を見たり聞いたりしなかった者たち、あるいは忘れてしまった者たちが台頭して来て、この世の破壊分子となっているような気がします。

私は御言葉に従い、愛と思いやり、寛容と赦す気持ちを常に忘れずに、神が望む平安を求めて生きて行きたいと思います。

(5月10日’24:記述)

◆ローマ人への手紙:12-21:JCB(8月22日’20)(No.29)

悪に負けてはいけません。かえって、善を行うことによって、悪に打ち勝ちなさい。

「善だけを見据える!」:「悪」とは「罪」であり、「悪魔」であり、常日頃から、身の回りに溢れんばかりに偏在しています。ですから、ちょっと気を抜いただけでも、身に降りかかって来ます。しかし、いつも御言葉に触れ、「正しい行い」を心掛けて生きていれば、そのような隙は生まれません。

◆ヨブ記:5-17(9月7日’22):JCB(No.30)

神に誤りを正してもらえる人は、

何と幸せなことか。

神の懲らしめをないがしろにしてはいけない。

自分で罪を犯し、招いた結果なのだから。

病気も併せて、今の自分の置かれている状況は全て、神様から授かった「報い」だと思っています。ここを読んで、これからも一つでも多く、神に誤りを正してもらえるように、御言葉の教えに忠実に生きて行きたいと思いました。

 

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